旅人は強さを求める

―――負けた。【鮮血の赤兎】なんて呼ばれていた頃から一度もなかった完膚なきまでのボロ負けを喫した。

 戦った相手はゼノスと呼ばれる戦いに飢えた男。戦う事しか考えていなかった様はまさに獣と言ってもいい相手だった。一度目は自分を一瞥もせず斬り払い去って行った。刀は折ってやったがただのコレクション1本折っただけだ。ヤ・シュトラもリセも護れなかった。続けてユウギリらドマの民々と暗殺計画を実行するも失敗。これが今の自分が持てる実力の限界、という事なのだろう。

 悔しかった。そして何よりも怖かったのだ。まるで過去の自分を見ているようで。寒空の夜で出会わなかった未来をゼノスで重ねてしまっていた。仲間たちには絶対見せないよう、抑えていた恐怖。リセが安心して眠っていた姿を見た途端にあふれ出し、体の震えが止まらない。勝つための手段はある。そう、【鮮血の赤兎】のごとく恨みを、怒りを刃に込め、目の前の敵全てを斬り捨ててしまえばいい。だが勝つためだけにまた自分も獣にならないとならないのか? 他に道があるはずだ。『命の恩人』が愛した地からガレマール帝国を追い払い、褒めてほしかったのが今回彼らに協力しようと決心したきっかけだったのだから。

 不審がるアウラの少女シリナに対し「大丈夫。ちょっと席を外すね」と岩陰に座り込みリンクシェルが入った袋に手を伸ばす。アンナは特に誰かと連絡を取り合う予定がない時はリンクパールを袋にしまっている。理由は簡単で耳の付近に何かあるのが邪魔だと思っていたからだ。しかし今回は完全に無意識だった。袋を開いてみるとパールが弱弱しく光り鳴っている。リンクシェルを確認するとどうやら彼のようだ。ゆっくりと手を添えながらパールを耳に取り付け「もしもし」と呟いた。

『アンナ! よかった生きてたか』
「シドじゃん。どうしたの?」
『どうしたのじゃないだろう! 聞いたぞ。ゼノスに斬られたって』
「情報早い。……ああボロ負けしたよ」

 ゼノスと同じガレアン族でありながら祖国に失望しエオルゼアへ亡命したシドだ。白色の髪に貯えたヒゲがなかなか決まっている。彼はどこからともなく自分がゼノスに深手を負われた情報を手に入れたのだろう。ずっと通信を試みていたようだ。実際はちゃんと戦える程度に回復してるしそんなに必死に連絡を試みようとしなくてもよかったのに。

「私はちゃんと生きてる。アイツは強さ以外に興味がないただの獣だった。雑魚には興味ないってさ」
『そうか……』
「大丈夫。死ぬならシドを巻き込まない、絶対届かない場所で死ぬから」
『冗談でもそういう事を言うのはやめてくれ』

 やれやれ元気そうだな、と言う声が聞こえる。アンナはようやく少しだけ緊張がゆるんだようで笑みを浮かべる事が出来た。

「ねえシド」
『どうした?』
「もし、もしもの話」

 アーマリーチェストに仕舞い込んだ未だ恐怖で平常時はあまり触りたくない槍を思い浮かべる。アレを持つとどうしても心がざわつき、自分のストレスを刃に乗せて斬り払ってしまう。それは幼い頃に命の恩人に教えてもらった必要以上に強い力だ。心強いが【鮮血の赤兎】だった自分を思い出し、手が震えてしまう。

「私がゼノスと同じ獣みたいな存在に堕ちてでも勝つ、と言ったら……どう思う?」
『アンナは負けないさ。獣になんてならない』

 シドにとって愚問だったのだろう。即答が返ってくる。私は結構真剣に悩んでいるんだぞ、と言いたくなるが今回は飲み込もう。

『今までどんな困難にも打ち勝ってきただろう。負け慣れてないからって弱気になってたのか?』
「そんな事はない。いや確かに云十年での明確な初黒星だったけど」
『お前の言葉を借りるとゼノスは強さに身を任せた孤独な獣だな。だがお前は1人じゃない。暁やエオルゼア同盟、ドマ、アラミゴの奴らだってお前の味方だ。俺は……お前さえよければ装備の調整をやってやるさ。英雄である旅人のためなら協力は惜しまない。俺を、いや俺たちを信じて欲しい』
「……しょうがないなあ。あなたにそこまで言われるならもう少し模索する。刀を持つ相手には、刀で勝ちたい。ありがとう」
『―――絶対に生きて帰って来るんだ。アンナ』

 嗚呼自分はこの言葉が聞きたかったから通信に応じたのだ。先程までの恐怖心はもう消えている。絶対に、皆の元に帰らなくては。

「もちろん。それがあなたの願いなら、ね?」
「ずっと想ってるさ」

 さあまずはゴウセツの所に行ってみよう。少しでも勝率を上げるため、『命の恩人』ならまずは修行だって絶対に言う筈。善は急げ、リンクパールを外し、再び袋に仕舞い込む。

 嗚呼お前の言う通り生きながらえてやるよ、哀れな獣め―――

「ゴウセツ、いた」
「アンナ殿ではないか。傷は大丈夫であるか?」
「平気。それよりゴウセツにお願いがある」

 シドとの通話の後アンナはヒエンと訓練を行っていたゴウセツの元に走り寄り、握りしめた刀を差しだした。そしてゴウセツに深々と頭を下げ、口を開いた。

「本当に取り込み中ごめんなさいとは思っている。……ゴウセツ、私に稽古を付けてほしい。ゼノスに勝つために」

 ヒエンとゴウセツの目が見開かれ、アンナを見つめている。「なにゆえじゃ? おぬしは刀に頼らぬとも十分に武芸の達人に見えるが」とゴウセツは何とか口を開く。

「刀を持つ相手には刀で相対したい。でも今の型にはまった動きでは絶対に、勝てない。少しでも勝率を上げるために協力してもらいたい」
「なかなか興味深い事を言うではないか。ゴウセツ、少々見てやったらどうだ」
「ヒエン様が仰るのであれば……。では場所を変えよう。ヒエン様は少々お休みに―――」
「いやわしも見学させてもらう。エオルゼアの英雄と呼ばれる者の戦い方も間近で見ておきたい」
「そんな……私は英雄じゃないよ。ただ困っていた人を助けただけの無名の旅人」
「無名……」

 アンナの刀を交えた時に稀に見せる目付き、そして無名の旅人という言葉、ゴウセツはそれに覚えがあった。このオサード地域で生まれ、エーテルを刀に纏わせどんなものも一閃で斬り捨てる伝説の剣士。―――そう呼ばれながらもある時を境に無名の旅人であろうとした人間。まさか、と思いながらも構え方を変える。

「アンナ殿はこちらの方が性に合っていると思われる」

 彼女の目が見開かれる。ゴウセツはその表情で悟った。そうか、かつて病に伏せ年老いた戦友が言っていた唯一の、弟子。エオルゼアに旅へ出した槍を持った赤髪のヴィエラは、彼女の事だったのかと。憧れた者誰一人とも会得出来なかったモノを受け取った唯一の存在が今目の前でドマを救おうと奔走している。

『私はとんでもない罪を犯してしまったようだ。あの子以外、弟子を取らなくてよかったと思っている』
『龍殺しのリンドウとも呼ばれていた方がそのような事を言うのはやめてくだされ! ドマを守るためにもリンドウ殿の知恵を貸していただきとうございまする』
『ならぬ。私ももう長くはない。戦火が降りかからないこの終の棲家で、生涯を終えるのだ』

 最後に彼と会ったのは帝国がオサード侵攻が始まった間もない頃。リンドウの身内が住む村から少し離れた山奥に終の棲家となる居を構えた。横に思い出と表現した絵画を飾った齢80を超え老け込んだ彼の弱弱しい姿は未だに覚えている。かつての戦友は何らかの罪悪感に苛まれ、話をしてから5年もせずに亡くなったと聞いた。ドマがガレマールに占領された3年後の出来事になる。誰よりも知識を持ち、誰よりも強く、誰よりも冷酷でありながら奥底に優しさと大義を持ち続けた男は何を知ってしまったのか。

「龍殺しリンドウの剣技、拙者が見たもののみでよければお教えしよう」
「お願い、します」

 ゴウセツには戦友のようなエーテル操作は不可能だった。『ちょっとコツがある。感情をな、乗せるんだ』と言っていたが理屈は分かっても実行できるほど簡単なものではない。出来ぬと返せば『まあ言い換えればどんな刀も妖刀に変えてしまうようなものだ。簡単に会得されちゃ困る』と冗談を交じえながら言い切った。自分より一回り年上だったリンドウの表情は決して笑顔を見せなかった。しかし彼の普段の剣術位は覚えている。独特な刀の構え方で相手を翻弄し振り回す。もともと森で暮らすヴィエラである身軽なアンナには彼と同じ立ち回り方が動きやすいだろう。

 ヒエンはずっと2人の修行風景を見守っていた。『龍殺しのリンドウ』という名は聞き覚えはあった。かつてドマを震え上がらせた【妖異退治の専門家】でありながら、何らかの出来事を境に名を捨て【無名の旅人】となった変わり者。とはいっても誰もが知る一種の英雄であったため完全に自称であったらしいが。その者が見せた剣術は他の武器を扱うが如く奇妙なものであったと聞く。どんな強さを見せるのかヒエンは期待のまなざしを見せている。頃合いを見たゴウセツは近くにいた魔物に向かって刀を振るってみろという。アンナはニィと笑いながらゴウセツが一度だけ見せた剣技を忠実に再現する。力が抜けた彼女の手から一瞬だけ光が見えた気がした。

―――次の瞬間真っ二つにされた哀れな獣が横たわっていた。

「ゴウセツ、フウガ知ってたんだ」
「遠い昔酒を飲み交わした方でござる。何度か妖異狩りの世話にもなった」
「わしも聞いた事はあるぞ。生まれておらんかった頃の話でほぼ御伽噺な存在じゃがのう」
「そっか」

 アンナは満面の笑みを浮かべていた。先程の張りつめた緊張は無くなっているようだ。
 心の中ではヒエンの生まれてなかった頃という言葉のとげが刺さって痛がっていたが。

「アンナ殿から見たリンドウはどんな存在じゃった?」
「―――成人前に会ったずっと背中を追いかけていたかっこいいヒゲのおじ様だよ。それだけ」
「先程そなたは謎が多いやつと聞いていたからのう、知れて嬉しいぞ」
「あー別に秘密にしてるわけじゃないんだけどね」

 ヒエンはうそつけと言いながら小突いている。アンナは柔らかの笑みで「そうだ。フウガって最後どこに住んでた? ……お墓は?」とゴウセツに詰めかける。ゴウセツはたじろきながらが答える。

「このドマのどこかだったまでは覚えておるのじゃが―――おお赤誠組なら知っておるかもしれん。この戦いが終わったら聞いてみるとよい」
「お預けって事ね。了解。絶対ゼノスに勝つ」

 ゴウセツはアンナに罪悪感を感じながら嘘をついた。本当は知っていたのだがリセから教えてもらっている極度な方向音痴の彼女を口伝だけで無事に届ける自信が存在しなかったのだ。
 しかし宝石みたいな赤色の瞳に焔が宿ったように見える。図らずも彼女の情熱に火をつけたいたようだ。ゴウセツのわずかに張りつめた緊張が緩まっている。リンドウの年齢から考えると彼女の方がゴウセツよりも年上と察するものがあるが、うら若き弟子が増えたような感覚が生まれていた。それはかつて少女だった彼女と旅をしたリンドウも同じ気持ちだったのだろうと伺える。

「さあおぬし達ももう寝なさい。明日の試練に支障が出ては困りますがな」
「確かに。ゴウセツもしっかり休んで。本当にありがとう。あとリセ達には内緒で」
「はははエオルゼアの英雄殿は秘密を多く持ちたがる」
「そういうのじゃないさ。……まあ改めてよろしくね、ヒエン」

―――これはボクの精一杯のワガママにして恩返し。負けるわけにはいかないんだ。でも奥底に仕舞い込んだハズの感情が溢れ出すのを我慢して進み続けるのも、悪くない。