旅人、心掴めず

 慎重なノックの後、扉が開きひょっこりと首を出すヴィエラの女性。未だ過去は謎に包まれている―――

「珈琲、入ってる」
「ありが、って器用だな」
「……慣れてるから」

 苦笑しながら両手にカップを持つ男よりも遥かに身長が高い女性は肘を使って扉を押し開け、足で軽く蹴るように扉を閉めた。普段遠慮がちに話す人見知りな反面、大胆でかつ鮮やかな戦闘センスにはシドをはじめとするガーロンド社も例に漏れず幾度も助けられている。黒色の髪で日に焼けた健康的な褐色肌に炎のように燃える赤色の目。すらりと細い体のどこにそんな力が込められているのだろうかと以前尋ねてみると「10年以上歩いて旅したらいい」と笑顔で言い放った。絶対に違うのだけは分かる。

「デスマ中だった?」
「まだ大丈夫だ」
「だろうと思った」

 何故かこちらの予定を把握されており、ジェシーに怒られながらの納期や決算前には絶対に現れない。最初こそは手土産を持って遠慮気味な笑顔で男の元に現れ無言の時間も少なくなかったが、現在は我が家のように通され談笑するようになっていた。謎に包まれている部分も多いが気さくで話しやすい英雄様、という印象からどちらかというと冗談を言い合う男友達のような、しかし彼女という靄を掴もうと近付くとするりと避けられる。現在も話は出来る、とはいっても底を見せる隙を見せてはもらえない。暁の人間ともそういう間柄なのだろうか、ふと気になったことはある。「暁の人間とはどんな話をしているのか?」と聞いてみた。

「んー……少々前に行った時は頼まれたものを取ってきたとか倒してきたとかそんな感じの話したかな」
「他だよ他、俺と話してるみたいなさ」
「していないかな。彼らはあくまでも仕事上の仲間って感じだしさ。なんていうか……うーん話しかけにくい」
「今日の天気とかも話さないのか?」
「皆の話はちゃんと聞いてるよ。それよりここに来る前に焼き菓子作ってみた。どう?」

 どうやら自分の話は全くしていないようだった。まあ男にもあまり過去については話さないのだが。というのも以前何故か暁の少年から『どうやったらアンナが君相手のように心を開いてくれるのか分からない』と相談されたからで。詳細を聞くと滅多に石の家に現れないし何も語らず自分達の話を聞いて終わったらまたふらふらとどこかへ去っていくのだという。『確かにそれは共に帝国からエオルゼアを守り、竜詩戦争も終わらせた仲間との距離感ではないな』と少しだけ彼女が興味を持っているものや話題を提供した。しかし彼女の方もきっかけを掴みかねてる感じというのは予想外だった。少しだけフォローしてもいいかもしれないと顎の髭を触りながら考える。

「なあ旅人さん」と男は呼びかけると彼女は珈琲から視線を外しきょとんとした顔でじっと見つめてきた。珈琲片手にいつの間にか鞄から取り出したのだろう菓子を小さな机に並べ慣れた手つきでタワーを作っていたようだ。時々彼女は変なものを残して去っていく。菓子で作ったタワーがその筆頭だ。一度器用だと褒めるとこれまで見たこともなかった満面な笑顔でクリスタルタワーのような立派な建造物を作り、社員総出で片付けという名の彼女手作りの菓子を振る舞う時間と化していた。それからというもののまだ彼女は来ないのか、またあのクッキーを食べたい、会長だけ羨ましい、仕事しろ等の喜びのコメントが社内から寄せられるようになっている。
 閑話休題。呼びかけられた人間からの言葉を待つ彼女に優しく促すように話しかける。

「時々は石の家に行ってやれよ」
「呼ばれたら行ってるから大丈夫。こことも近いしエーテライトの目の前だから迷子にもならない場所にある」
「じゃなくてな」
「……あぁ。えっとね」

 少し視線を落とし考え込んでいる。そんなに暁の人間と関わりたくないのだろうか、と男も神妙な顔になると彼女は目を見開き「ち、ちがう!」と何かを否定するように口を開く。

「えっと、滅多に石の家に行かないのは職場が嫌だからとか、そういうのじゃない」
「というと?」
「……行こうと思えば、いつでもテレポで行ける。でも他の頼みとかで面倒な所に行くと、ね?」
「ああ迷子になると」

 遠慮気味にこくりと頷いている。彼女は極度の方向音痴だ。10年以上旅をしていたというのもひっくり返せばただグリダニアに行けなくて迷っていただけ。自分が乗ると絶対に賊に襲われるか崖から落ちるからとチョコボキャリッジも使わず歩いていた、らしい。ふと女性に年齢を聞くのは失礼なので口には出したことないが彼女はいくつなのだろうかと考えたことはある。成人してから旅をしていると仮定すると同じくらいの年齢かもしれない。本当に10年程度の旅であればだが。
 しかし少しでも入り組んだ道に入ると出るのに時間がかかる方向音痴のくせによく途中で死ななかったなと彼は思う。もしかしたら自分が考えているより腕っぷしが強いのかもしれないが、それを直接彼女に確認する勇気までは存在しなかった。かろうじて口に出せた「現地の人に道を尋ねなかったのか?」という質問は何も言わず首を横に振られるだけで終わっている。人に質問するのは苦手らしい。
 それにしては何度かリンクパール通信が来たと思いきや「ここはどこ?」と地図と本人の証言を手がかりに通信を介して道案内する羽目になったことがある。あまりにも難関すぎて途中ビッグスとウェッジも呼ぶこともあった。「一種のゲームみたいで楽しいッスね!」「バカあの人は真剣に迷ってるんだぞ」という彼女との通信を切った後の2人の言葉に笑いをこらえお礼を述べ仕事に戻るよう部屋から追い出したのだが。
 要するに石の家に行かない理由は人助けが迷子によって長引いていたからだと言いたいらしい。

「その頼まれた仕事が終わってから何か用事ないかなと立ち寄ろうと思ってはいるよ。でも最近ドラヴァニア雲海周辺で活動することが多くて……」
「あの辺り大丈夫か? 地図あってもお前は」
「流石にあそこでは迷子にはならない。でも目標の場所が遥か空の上で、チョコボや『貴方たち』が整備した魔導アーマーにはいつも無茶をさせてる」

 突然胸に手を当て、どうやらチョコボや整備した魔導アーマーに対して想いを馳せているらしい。その姿もまた綺麗で。とぼんやりと考えているとアンナは珈琲を飲み終わったのか荷物をまとめ始める。

「もう行くのか」
「うん。お土産持って石の家に。……アルフィノ辺りに頼まれたんでしょ?」
「なんだバレてたのか。迷惑だったか?」
「そうでもないと暁の話題にはならないし、って思ったら自然と察したさ。心配されてるとは思わなかった、ありがとう」

 改めて礼を言われるとどこかくすぐったく頭を掻いてしまう。そんな彼の様子を見ながらにこりと『余所行き』の笑顔を見せる。最近彼女は彼と別れるとき絶対に見せるその表情は所謂スイッチを入れる動作というわけだ。「大丈夫だ」と言ってやるとこくりと頷き、部屋から去って行った。

 数日後、暁の少年から「アンナが手土産で持ってきたクッキーを褒めたら急に取り出した菓子で大きなタワーを作って帰って行ったんだけどこれは君の所でよくある話なのかい!?」という喜びの声を貰ったので効果はあったようだ。